非実在青年

非実在少年」というキャッチーな単語が登場してからというものネットでは、非常にヒートアップしていた東京都の青少年健全育成条例の改正案への反対意見がネットのサブカル的言論空間の部分を埋め尽くしていました。ところが既存のマスメディアでは漫画家の反対声明記者会見がストレートニュース、ベタ記事で紹介されたほどで、TBSラジオの「アクセス」を除いては青少年健全育成条例改正案を問題や議論の遡上に挙げるようなことはありませんでした。


【主張】漫画児童ポルノ 子供に見せないのは当然産経新聞
そんな状況の中で保守を自認する産経新聞らしく都議会の「青少年健全育成条例」の改正案について肯定的な主張を展開し、ネットを中心にして巻き起こっている同条例改正案に反対する人々を非難する社説を掲載しました。意図的に有害図書との混同を狙っていたりと何とも香ばしい酷い記事ですが、そこはスルーして主だったものを抜粋すると以下のようになります。

対象となるのは教室での少女強姦(ごうかん)や恋愛と称して近親相姦を描くなど、社会規範に著しく反した内容の漫画やゲームソフトだ。18歳未満の小中高校生らに見せないようにするのは当然ではないのか。改正案は妥当である。

表現の自由」を持ち出した批判は論点をすり替えていないか。改正案は「子供に見せない」という常識的な内容だ。反社会的な行為の助長は許されない。(上記リンクより一部引用)

要するにじゃんじゃん児童ポルノを規制すべきだというのが自称保守、産経の主張です。保守とすれば当然といえば当然の反応といえるのかもしれません。ただ別にネットユーザーも漫画家も出版社も未成年を題材としたエロ漫画、エロゲーを読みたいから、遊びたいからこの条例改正案に反対しているわけではありません。分かりやすかったので以下に出版倫理協議会の「東京都青少年条例改正案」に対する緊急反対表明の一部を引用します。(追記)対象が不明瞭なことが問題であり、産経が対象と言っている「教室での少女強姦(ごうかん)や恋愛と称して近親相姦を描くなど、社会規範に著しく反した内容の漫画やゲームソフト」というのは根拠が無い言いがかりです。


「非実在青少年」にマンガ業界からリアクション続々(コミックナタリー)

1.18歳未満と判断される架空の人物の性を描いたコミック等を規制しようとしていること。(コミックにおける登場人物は設定年齢よりも幼くみえたり、年齢不詳の場合も多く、当局の恣意的な判断によって、著作者や発行者への検閲や弾圧につながる怖れがある)

2.現行の児童ポルノ法において、「児童ポルノとは何か」の定義が曖昧とされているにも拘わらず、それを踏襲しようとしていること。(国会において定義の見直し論議を行っている)

3.児童ポルノの「単純所持」について規制しようとしているのは、権力の乱用につながりかねない。(国も論議中で未だ規定していない)
(上記リンクより一部引用)

これまた要するにこの改正案では曖昧過ぎて権力者の恣意性に左右される危険性が強いというのが出版社や関係団体、漫画家さんまでもが条例案に反対する理由です。まぁエロ漫画やエロゲーを享受したい、売りたいというのも少しはあるかもしれませんが。好きに創作物が作れなくなるのはもちろん、反権力の人が少しでも18歳未満に見えるキャラクターの性行為が写った漫画やらゲームやらを持っていたら、それを理由に別件逮捕される可能性が生まれてしまいます。産経は常に保守権力寄りなので関係ないのでしょうが、他の新聞が沈黙することには違和感を覚えます。マスメディアが大好きなはずの恣意的な規制、公権力の乱用なのに。またこれが端緒となってより大きな規制に広がる可能性も高まります。


恣意的な規制の例:―MPAAwikipedia

2006年に制作されたアメリカの「This Film Is Not Yet Rated」というドキュメンタリー映画の中で、MPAAの極端な秘密主義が批判された。映画の中で、レーティングを行う審査員に関する一切の情報が秘匿されている点、レーティングの基準が不明瞭である点、そしてレーティングされる予定の映画と過去にレーティングされた映画との比較自体が禁止されている点などが指摘がなされた。この映画の公開後、MPAAはレーティングの審査員の情報公開を行い、過去の作品との比較を認めるようになった。なお、この映画はMPAAからNC-17(18禁)としてレーティングされたため、この映画の監督を勤めたカービー・ディックはレーティングを拒否した。その結果、この映画はアメリカにある多くの映画館の中で放映されなかった。これは、アメリカの多くの映画館は劇場連盟に加盟しており、そこの規定で、MPAAがレーティングして映画しか放映できないからである。
(上記リンクより一部引用)


ただ主張としては産経の方が反対派の主張よりもネットやサブカルから離れた一般人の世論に受け入れられる可能性は高いです。

「成人漫画」「18禁」などと表示し、販売コーナーを一般書と分けるなど出版社や書店の自主規制が進んではいるが、販売時に年齢を確認しない例が多い。都小学校PTA協議会の会長によると「子供が持っていたかわいい表紙の漫画を開いてみたら児童ポルノだった」などの保護者からの苦情が後を絶たないという。

大阪府橋下徹知事も、実態を把握した上で規制を検討する意向を示し、「表現の自由は絶対的ではない。子供たちを守るのが大人の責務」と述べた。東京都とともに工夫して取り組んでほしい。

 インターネットなどを通じた児童ポルノの氾濫(はんらん)に対し、児童ポルノの単純所持を規制する国の法改正も滞っている。子供を性的対象とする目に余る実態を認識し、論議を深めてもらいたい。
(同上)

児童ポルノを規制しろ」という主張に抗うことは非常に難しいです。ネットならともかく現実の世界で児童ポルノ規制に反対だなんて言えばどう見られるのか。少し想像すればわかります。例えそれが表現規制に繋がると訴えたところで所詮はキモオタの遠吠え、キモい主張としか解されないでしょう。神経を疑われ奇異の目で見られかねない。というか見られてしまうでしょう。だからこそエロ漫画やエロゲーは日陰の趣味だったはずでした。


※安直な図

良識派(規制派)       キモオタ(反対派)


というかネットの声は恣意的運用云々よりもエロ漫画やエロゲーが規制されたら嫌だというのが本音でしょう。ライトノベルも18歳以上が対象のエロ漫画やエロゲーも登場人物の多くは何故かティーンエージャーなので。けれどそういったユーザーが声を上げるのはなかなか戦略的に厳しい部分があり、オタクが単純に声を上げることは、児童ポルノを制限する良識派児童ポルノに反対する犯罪者予備軍の単純化された物語に押し込まれてしまいます。

ならばこちらも非実在青年をでっち上げるべきです。サッカーで国立に立ち、慶応大学卒業の俳優としましょう。奥さんは歌手な20代の人気若手俳優。そんな人が矢面に立って「東京都青少年条例改正案」に反対する。こういう設定の非実在青年をでっち上げて、東京都青少年条例改正案に反対させるべきなのです。これであれば直接的な利益を害される漫画家や出版社よりも、表現規制の危惧や恣意的運用の危惧がストレートに世論に訴えかけるんではないでしょうか。



※実在しません


世論なんて所詮そんなものです。いつあるか分からない権力による恣意的な運用やその先にある新たなる表現の規制の危機よりも自分の子供が心配です。当たり前です。規制よりも隣のロリコンキモオタの方が恐ろしいのです。そうならば規制しなければなりません。次はエロ漫画、エロ雑誌、グラビアも規制されるかもしれません。将来は人体ではないものに性的興奮を向けざるを得なくなるでしょう。



※たいへんキワドイ写真です。卑猥です。規制しましょう。


自身が児童ポルノだった栗山千明さんなんかの実在する被害者でありつつキモオタな女優さんに見解を聴いてみたいなぁ。



非実在少年が必要な理由)
穂花『籠(かご)』出版記念サイン会をレポート!(新刊JPニュース)
AV女優の穂花さんの自伝が発表され、その内容の衝撃ぐあいにぼくは穂花さんのAVが観られなくなってしまいました。リアルの犯罪被害者がAVに出演し、そのAV出演ですら騙されて出演するはめになったと。こういう時に被害者が居ない、絵描きさんが絵を描いて、声優さんがお芝居をするエロ漫画やエロゲーって必要なのではと思わされます。Mなので別に強姦モノとかは見ないですが、それにしても被害者が居るとAVも楽しみにくいです。そういう時にエロ漫画やエロアニメだとそのキャラクターのバックグラウンドを想像しなくて済みますし。